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2019年05月07日

火野正平とうちゃこ日記(845)2019年春の旅 長野 月曜版

寒河江幹です。

1週間のおやすみを挟んで、2019年春の旅の続きです。

【ストーンヘンジのような石像】
(東御市)

旧北御牧村(きたみまきむら)の芸術村にある「ストーンヘンジ」のような石像。実家から徒歩数分の所にあり 小学校の頃は兄や友人とよく遊びに行き、石に上ったり周りで鬼ごっこをしたりしていました。
学校で嫌なことがあったり、悩んだりした時には子どもながら居場所を求めて、ここに来て一人で石の上に寝そべって空を眺めていました。
温泉や美術館が あり、観光で訪れる「芸術村公園」の外れの目立たない所にあり、人通りも少なく、雑音もなく 心を無にできる場所でした。実家のお墓がすぐ隣の茂みの中にあり、 ご先祖様が近くに寄り添ってくれるような感覚もありました。大人になってから訪れると石像が以前より小さく見えますが、当時は上るのがやっとこな高さ。
地元を離れて10数年。村は合併されて北御牧村は無くなってしまったけれど、Uターン帰省を決意した今、また行きたい場所は この石像のある小さい広場です。




【野尻湖】信濃町

働き詰めだった父ちゃんが、40歳を過ぎて取った車の免許で 中古の車を運転し 新潟から長野の野尻湖までドライブにつれていってくれました。
父ちゃんと出かけた、数少ないドライブの想い出です。
湖畔のドライブインで
「これが、うまいんだ」と鮎の塩焼きを
おいしそうに食べていた姿が 目にうかびます。
もう一度 父ちゃんと出かけたいです。




【天龍大明神】
岡谷市

私の心の風景は 岡谷市川岸の高尾山の麓にある天龍大明神です。東京の有名な高尾山と同じ名前ですが こちらには男高尾山と女高尾山があり 地元の人々は たこやまと呼んで親しんでいます。
天龍大明神は 小さな太鼓橋と鳥居がひとつ そしてちょっと奥に小さな祠があるだけの、木立に囲まれたうす暗いお宮です。
私は6人兄弟の5番目で、母は8人の家族の家事や農作業でいつも忙しく、その上寡黙で 私は母に甘えることができないまま 中学生になって、反抗期はしっかりとしました。母と度々口げんかをしていました。
60年近く前のことです。
3月のお彼岸が過ぎた頃 母が「天龍大明神にお札参りに行くよ」と私に言いました。
私は高校受験生でした。
私の家から天龍大明神まで約3kmあり1.5km位は大小の石がごろごろした登り坂が続くのです。
3月8日の試験の日 母が一人で この遠い天龍大明神に行き 合格祈願をしてくれたというのです。
3月の長野県はまだまだ寒く霜柱をふみながら 今度は2人で、鳥居の前で記帳して祠に行ってお礼参りをして。それから
小さな太鼓橋に腰かけて おそなえしたビスケット
をわけて食べました。
こんな時期 人は誰もいません。
枯草と枯木立を見ながら二人共
ただ黙って・・・・・・そして帰り道もただ黙って・・・・・・
それから高校生活に入り 私の反抗期はすぐに無くなりました。
不器用だった15歳の私と51歳の母の たった半日だけの二人きりの旅は一生忘れられないものとなりました。
今でもあの時のことを思うと すごく嬉しかった気持ちとなつかしさで 胸がいっぱいになります。




【更埴橋から水門に続く長い土手】長野市

私の思い出の風景は、長野市小島田町の更埴橋から 長野市松代町東寺尾にある水門まで続く長い土手です。
私の家は更埴橋(こうしょくばし)のすぐそばにありました。
まだ、自転車に乗りたての6歳位の時だったでしょうか?
学校から帰ると、いつもいるはずの母の姿がありませんでした。
我が家は祖父と祖母、父、母、姉2人と私の7人家族。母は、祖父母との仲も良く、父も国鉄職員としてまじめに働く人でした。
でも、なぜかその時私は「母は家を出て行ってしまったんだ」と思ってしまったのです。
もちろん、母が家を出る理由などなったのですが、父がお酒が好きだったこともあり、幼い私は「きっと母は、お酒が嫌いで実家に帰ってしまったのだ!」と思ってしまったのです。
急いでお下がりのおんぼろ自転車に乗り、バスでしか行ったことのない松代町馬喰町にある、母の実家まで、母を迎えに行くことにしました。

昔は木の橋だった更埴橋を渡り、すぐ右に曲がりひたすら長く続く土手を、慣れない自転車に乗り必死に走り続けました。
周りは畑だらけ、遠くには雪が残る飯綱山に真っ白なアルプス、目の前には皆神山、黄色い荼の花が咲きほこり、春の心地良い風が私を後押ししていたはずなのに、そのきれいな景色を見る余裕もなく、使命感だけでただ前だけを見りめて走り続けました。
でも知らない道、遠く果てしない土手、いくら漕いでも近づかない松代町の町並み、小さな身体の私には重い自転車。
もうここまで来たら帰ることも出来ないと思うと急に怖くなり、不安と母に会いたい気持ちが溢れ出し、涙が流れてきましたが、はるか遠くに見える松代町の町並みを目指して、泣くのを必死にこらえながら、ペダルを漕いでいきました。
松代城址を左手に見ながら進むと、やっと母の実家がある馬喰町になりますが、ただいくつもの坂があり、どこを降りたら実家に着けるのかがわかりません。
水門近くまで行った時のことでした。
目の前に母が自転車を漕いでやって来たのです。私の姿を見た母はびっくりして「なんでこんなところまで1人で自転車で来たの!!もし、下る坂を間違えていたらどうなっていたか!!」と私を叱りましたが、私は、母に会えた嬉しさと、泣き顔を見られてしまうという恥ずかしさから、「自転車の練習をしていたらここまで来てしまったの」と嘘をついてしまいました。
母は家出ではなく、実家に野菜を届けに行ったということを知り、帰りは安心感でいっぱいの私でした。
今では車で行けばすぐ着いてしまう土手ですが、幼い私にとっては、大冒険だったなーと、土手を通るたびにあの時の不安や恐怖や安堵感を思い出します。



posted by 寒河江幹 at 04:14| Comment(0) | こころ旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする