寒河江幹です。
2016秋の旅、572日目相生市への旅です。
「おはよう、勢いで来たけど結構怖い」
昨日海が荒れていたので来れなかった、新舞子海岸の岩場です。
今日は、潮が引いて岩の展望台のようなところに登っています。
「今日は12日目、はじめてのお日様気持ちいい」
その展望台に座ってお手紙を読みます。
【『皆勤橋』の在ったあたりの景色】相生市
昭和43年から51年ごろまでの相生の町は造船会社の企業城下町みたいなところで私の父もその関連企業で働いていました。
父の仕事はタグボートの船長で、港湾整備の現場の労働者でした。
私はそれまで長期の出張続きだった父と一緒に暮らせるのが嬉しくて毎日のように八つ違いの弟を自転車の後ろに乗せ父の帰りを迎えに行ったものでした。
現場の労働者に
「今日は父ちゃん遅くなるぞー」
とか言われながら船で工事現場から疲れた顔で帰ってくる父を迎えるのが楽しみで、二人で出かけました。
三年前に亡くなった父は酔うたびに私が弟を自転車に乗せて迎えに来てくれたなぁと40年以上前のことを思いだして懐かしんでいたものです。
今はもう撤去された「皆勤橋」という通勤用の浮橋の在ったあたりの景色をもう一度見たいものです。
地図で相生を確かめると正平さんは急に思い出して話し始めました。
「いい話を、私は役者生活50年以上してますが遅刻は2回しかしていないのです。その1回が京都で時代劇を撮っていたんですが、東京から京都に新幹線に乗って眠くて眠くて気づいたら相生にいたんです。急いで電話して京都に戻って、今度気づいたら名古屋にいました。そこから電話したら、今日はもう東京へ帰れボケ〜と言われました」
青空のようなブルーのプルオーバーを着た正平さん。さっそく出発します。
するとまもなく角で一人のおばさんが手を振って見送っています。
「今日はどこですか?」
おばさんに冷たい正平さんは
「あっち」
とつれない返事。
しばらく走って
「なんで(ここにいると)わかるんやろか?」
と疑問に思っていました。
バス停につきました。
バスを待つ間、そこからサイクリングを始めるという人と会話しました。
「どこまで」
「赤穂まで」
「私たちもそちらに行くんですよ、バスで」
「アハハハハハ」
その方は、車を置いてそこからサイクリングしまた戻ってくるそうです。
バスが来ました。
ウエスト神姫バスで大浦まで輪行。
バスの中で
「うれしい」
と喜んでいる女性がいました。
とうちゃこ版では最後尾の座席でツーショットの記念撮影をしていました。
大浦でしばらく散策。
するとバスから見た山越えをしていたサイクリング者二人がやってきました。
正平さんは男でもサイクリングをする人は大好きです。
「今日はどこまで」
と訊かれると素直に
「相生」
と答えます。
3人そろっての記念撮影も自ら提案します。
男性の一人が
「火野さんの番組見てからサイクリング始めたんです」
「頭も真似したんです、ホンマです」
とツルツルの頭をさすりながら云います。
「俺自転車に貢献してんな」
いよいよ大浦を出発。
「ヨイショヨイショ」
上り坂です。
瀬戸内海が左に続きます。
ギアをチェンジしハァハァハァ、息づかいも荒くなってきます。
「相生市や」
坂の頂上付近に食堂が並んでいます。
そのうちの一軒「みやざき食堂」に入って昼食。
女将さんは
「わぁどうしよう」
と驚いています。
二階の景色がいい座敷席です。
焼き魚・煮魚・豆腐 フルコースが並んでいます。
「やさしい顔しているからもてるはず」
「この裏にね、怖い顔が潜んでいるんですよ」
同い年と気づいて
「おばあちゃんやけど」
と握手。
「おじいちゃんやけど」
下り坂に入りました。
今度は反対側からやってくるサイクリング者と挨拶をかわします。
緩いカーブを下り切ると相生湾が目に飛び込んできました。
「造船という感じや」
工場近くを通ります。
作業場の中ものぞけます。
「あら風来てる」
向かい風です。
「大きなフェリーみたいなのがとまっている」
工場の作業場の中に入り皆勤橋の場所を聞きます。
信号のところと教えてくれました。
工場群を通り抜けると道幅も広くなり家屋が多くなってきました。
信号がありました。止まります。
正平さんは歩いてある方向に行くと
「皆勤橋と書いてある」
とうちゃこ
碑に昔の皆勤橋がかかっている風景の写真プレートがありました。
対岸を見つめます。
フェリーみたいなのはドックなのでしょう。
跡地のベランダのようなところの石に座って再びお手紙を読みます。
「多い時は一日に1万人渡ったって」
「さて、私が寝坊した相生駅はどこにあるんやろか?」
橋はなくなりましたが昔と変わらない風景が映し出されます。
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