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2023年10月11日

火野正平とうちゃこ日記(457)2013年秋の旅 神奈川 蔵出しスペシャル BS日本縦断こころ旅


横浜市.jpg

寒河江幹です。

鳥取の震災の影響で、現在「蔵出しスペシャル」を放映中です。
今回は2013年秋の旅「神奈川」編です。

「おはようございます」『撮影中』の旗をもって横浜が見渡せる場所に立っています。
「あそこ(マリンタワーの横)のホテルが昔ブイブイ言わせていた頃よく使ったホテルです」

ちょっとブレイク ⇒ 林家ぺー余談ですけど

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【横浜市中区にある都橋からの街の風景】横浜市

私が生まれ育った町は、横浜市中区野毛町という繁華街です。
当時の横浜は高度成長期で地下鉄工事などの大規模工事が行われていて、日中からおじさんたちが酔っ払ってうろうろしているようなところです。
子どものころ都橋を渡った先にある福富町西公園が遊び場で、毎日橋を渡って友達と遊んでいました。
夕方になると昼間より明るいネオン街に向かって都橋を渡って家路につくのです。
今では町の様相のすっかり変わってしまいましたが、まだまだ昭和の香りが色濃く残る野毛の街を正平さん訪ね見てください。




「これ旧東海道です」(スタッフ)
「あれまー、川崎に宿があったのかなぁ?」
ひさご通りを通ります。
「川崎宿と書いてある」
京急線の踏切で止まりました。
すると急に隠れます。
踏切の先にBカメがいたようです。
「ありゃ、横浜へ来た。マリンタワーがまだ見えねーな」
遠くにベイブリッジが見えます。
「昔ベイブリッジ車で通った。怖かった」
「車でも怖いんですか?」(スタッフ)
「マリンタワーは子どものころからあったんです」
自転車は横浜中心部にいます。
ランドマークタワーを見上げ
「高え〜、首痛くなるでしょ」
そうやって止まっていると、子供連れの奥さまが来ました。
「いつも見ているのよね」
と言ってますが娘さんは恥ずかしがってお母さんの背中に隠れます。
「握手しよう」
と正平さんから声をかけ、おずおずと握手するのでした。

【聖ヨゼフ病院2階の窓から見たお宮さんの階段】横須賀市

生まれつき目の悪かった私は、学齢前から中学卒業までこの病院の眼科に入退院を繰り返していました。
2階の病室の窓からは坂の下のお宮さんがよく見えました。
患者さんたちはその階段が何段まで見えるかを治療効果の指標にしていたようです。
私も負けずに目を凝らしますが、白い坂のように見えるだけで段差など一段もないのです。
「明日こそ見える」と信じて毎日見続けましたが、最終的に光さえ失って病院を後にしました。




「オムライスありますよ」
いきなり昼食場面です。
店内に入ると、齢80過ぎのおばあ様方が4人昼食中です。
「正平さんに会えて感激」
とか言っています。
「85歳が四人、あわせると天文学的数字だな」
久しぶりのオムライス。
「う〜ん、感激」
疲れたので休憩しました。
「あ〜」
歩道橋の上にBカメがいました。
そこへ急に女性がとまり
「うれしい」
を連発。
「お父さん、正平さん」
と呼びますがお父さんは現れず。
諏訪大神社の鳥居下に来ました。
その先の坂の上に病院がありました。
とうちゃこ。
お宮の階段が見える部屋に行きました。
階段が見える窓から再びお手紙を読みました。
「正平さん、その階段が一体何段あったか数えてきてくれませんか?」
「小夜子さん、13段だよ」
「目が見えないのにこの番組を見てくれている…」
その後何も言わずにお宮の階段を見つめていました。

【歌舞島から眺めるキューピー島】三浦市

歌舞島は三浦半島の最先端にある三崎港のすぐ近くにあります。
かつて源頼朝が歌舞宴楽を催したところであったことからこの名がつけられたと伝えられています。
小学校時代の遊び場がこの歌舞島でした。
子どもたちが集まるといつも野球です。
ライト方向は民家があるためそちらに飛んだらアウト。
センター方向は藪が茂っているのでここに打ち込んだらアウト。
レフト方向の丘の上だけがホームランになるというルールでした。
丘の上では草滑りが楽しい思い出です。
勾配が急でスリルたっぷりです。
現在この島で子供が遊ぶ姿は見られません。
しかし、ここから眺めるキューピー島の風景だけは変わりません。
キューピー島とは皆がそう呼んでいたからですが正式には「江ノ島」です。




「海、キラキラまぶしい」
海岸に馬が5頭、散歩?しています。
「ちょっと見てみようか」
「きもちいいな〜、お馬さんも気持ちいいだろうなぁ」
海がキラキラ輝いています。
馬がシルエットとなって重なっています。
坂を登っています。
「ダメだ絶望的だ、飯食わなければよかった」
休憩している道路の対面では大根の収穫の真っ最中です。
霊園の看板を見て「霊園まっしぐら」
岬漁港につきました。
なぜか
「あなたがいつか教えてくれた〜」
岬めぐりをフルコーラスで歌いました。

【小田原の海】小田原市

私が決して忘れられない場所、それは高校一年の夏に行った小田原の海です。
大人の事情であきらめた私立高校、中学の卒業式を終えても進路も確定せず定時制高校に間に合いバタバタと就職を決めました。
今思えば親も切なかったと思いますが、志望校を選ぶ段階で私立に行かせる余裕はないとどうして言ってくれなかったか。
そんなことばかり考えてボ〜過ごす抜け殻のような日々。
仕事を終えて授業、夜に学校に行く生活に慣れなくて、だんだん暗くなってゆく景色を窓から見てはため息ばかりしていました。
そんな時、同じクラスの男の子とお付き合いすることになりました。
定時制高校に来る人はみな、何かしらの悲しさや淋しさを持っている人が多く、だからこそ人に寄り添うことができるように思います。
その彼と、お友達のカップルで小田原に遊びに行きました。
駅から商店街を歩き東海道に出て右手にある小さな映画館で「セーラー服と機関銃」と「時をかける少女」を見ました。
見終えた後、海を見に行きました。
細い路地を右に入るとバイパスの高架下越しに海に出られます。
お天気の凄くいい夏、陸橋がまるで額縁のように海を縁取りキラキラと輝いていました。
私の着ていたグレーのセーラのワンピース。
その時持っていた藤のカバン。
彼の白いジャケット。
きらきら光る額縁のような海。
皆の笑った顔。
一生の思い出です。
あの海があったから、彼がいたから、悲しい気持ちを乗り越えられた気がします。




柔らかな日差しです。
「ちょっと休もう」
興津の駅を見下ろす丘の上です。
そこへ
「おせんべい食べませんか?」
と若い奥さまがやってきました。
その方は勝手に「あの山」に行くのだと思っていて
「あの山行くんですか?すごいきついですよ。私マラソンしているんですが大変で」
と話しだしました。
「いかないよ。海岸線だよ」

「富士山綺麗だな」
酒匂(さかわ)川に来ると鉄橋をわたる新幹線が見えました。
空は青く澄んだ秋の空です。
道に迷っています。
「額縁と言ったら額縁だけど」
すごく小さなガードをくぐり海に出ます。
「お日様が目に染みる」
どうもここではなさそうです。
場所を移動します。
となりの浜にその場所はありました。
バイパスの高架下。
誰もいない海。
額縁にとらえられた海は、半分砂浜半分海のマリンブルー。

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posted by 寒河江幹 at 06:05| Comment(0) | こころ旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする