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2024年03月23日

火野正平とうちゃこ日記(619)蔵出しスペシャル 2014年秋の旅 鳥取 BS日本縦断こころ旅


岩美町.jpg

寒河江幹です。

2017年10月25日の「蔵出しスペシャル」は、2014年秋の旅の鳥取です。
冒頭、どこかの駅構内で「あんな短い(スカート)履いて、校則違反やろ」と女子高生にカメラを向けます。するとその女子高生が「あ〜テレビ出てる人」と気づきました。
その次はどこかの保育園。年長さんたちが20人ほど「テレビ見た、テレビ見た」と網に登ったりして大騒ぎ。大人気です。

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【田後(たじり)港の防波堤の一番先端の場所】岩美町

40年前の夏、岡山県の県北の高校2年生だった私は、美術部の夏合宿で浦富海岸に行きました。
美術部は男子3人、女子10人、そして引率教師2人。
一日目の午後、夕方になって私と同級生の女の子2人の計3人で、海に突き出した防波堤の上をどんどん先へ歩いていきました。
気づくと海の上に3人だけが存在する感じで、真っ赤な夕日が海に沈んでいく様子に見とれてしまいました。
会話も途切れロマンチックな雰囲気になって少し驚いてしまいました。
それまでは優等生だった私も、あの防波堤の夕日に照らされて青春に目覚め(色気づき)、合宿に参加していた女の子(その2人とは別)とつきあったりしました。

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正平さん、鳥取砂丘にいます。
ラクダに乗って散歩している人がいます。
海岸線の道路を走って石碑で止まりました。
有島武郎の歌碑です。
再び海岸線を走って「これだべさ、田後の突堤」とうちゃこ。
正平さん、一人で防波堤を奥まで歩いていきます。

【魚見台】鳥取市

主人の転勤で鳥取に引越、休みの日は主人と子供たちと一緒に近隣の町や名所めぐりをしていました。
国道9号線を西に行くと浜村海岸を見下ろす魚見台という高台があります。
石碑のようなものに穴が二つ開いているオブジェがありました。
当時小学生だった長男が、その穴に頭から入りはしゃいでいると「抜けない」ともがき始めました。
押したり引いたりしても抜けず、とんでもないお騒がせになってしまいました。
30分ほどかかってどうにか無事に抜け出せたのですが、本人は泣き疲れて放心状態でした。




浜村温泉に入りました。
昼食は、ちゃんこ鍋 営業中とかいてある菊水食堂。
頼んだのは「真イカ丼」
「混ぜてお好みでワサビをどうぞ」
丼をほおばります。
「コメントは決まっています。ま、い〜か。うまい」
食後しばらく行くと、映画の撮影のロケらしく止められました。
「俺撮ってくれないかな」
OKが出て進むと、正平さんの旧知の方が。
「あ〜ら、久しぶりやな」京都時代の仲間、野口さんとのこと。
「浜村の映画って言っていたなぁ。浜村淳出てんのかな?」
(その後、「え〜浜村淳です」と似てないモノマネを披露)
「敵発見」遠い先に上り坂です。
ハァハァハァ ヤバいBGMがかかり「真イカ丼出る」

【天神川の土手を走ってたどり着く川と海がつながる場所】湯梨浜町

私は鳥取県倉吉市で生まれ育ちました。
私の家は当時天神川の近くにあり、自転車でこの川の土手をさかのぼったところにある倉吉東高校に通学していました。
その帰り道、時々家には寄らずそのまま土手を下流に向かってどこまでも自転車で走りました。
当時凝っていた吉田拓郎の歌を叫びながら・・・。
やがて青い橋が見え、その先に海が見えます。
終点で自転車を降り、川と海の繋がる風景と青い海をじっと見つめていました。




浜村駅から出発しようと、昨日のロケ地に挨拶に行きます。
「あっここ本部なの?今日はやってないの?」
「ここから5分の別の場所で(ロケ)やっています」
野口さんはおらず、若い女性4人ばかりです。
「どうでもいいけどスタッフ若いよな。全とっかえしよう」
JR山陰線の二両の列車で、倉吉駅まで輪行。
天神川です。
「これをずっと下れということやな」
BGMに吉田拓郎の「私は今日まで生きてみました」という曲がかかります。
軽快に土手を下っていくと青い橋が見え、そして海に出ました。
川の色、海の色、その境は砂州になっていて狭くなっていました。

【鈑戸(たたらど)の野墓】大山町

野墓というのは、埋葬する墓とお参りする墓の両墓制において、土葬した墓のことです。
お参りする方は、髪と爪だけを埋めます。
野墓は、ゴロゴロ石だらけで穴を掘る時に出てきた石をそのまま埋めたお棺の上に積み上げただけの素朴なものです。
どの墓が誰のものかは身内しかわかりません。
知っている人がいなくなれば自然に戻ってゆきます。
私はこの河原のお墓の風景がたまらなく好きなのです。
私はこんなふうに消えていくのが理想なのです。




雨です。
豪雨です。
正平さんのカーキ色の合羽に降り注いでいます。
「カメラどうなってる?」
「雨つぶですごいです」
「ついにテルテル坊主も力尽きたみたい」
雨が上がりました。
休憩。
「鳥が飛び出したよ」
ピーチクパーチクやっています。
ある交差点で止まります。
「大山寺、行った行った」
2011年の旅の時に通った道です。
バスが通ります。
そのバスで正平さんの記憶がよみがえりました。
「おばあさんが前の方の席に乗っていてさ、降りるとき『いつもみてますよ』って降りて行った」
その時の画像が映されます。
降りてから正平さんおばあさんに手を振ります。
ハァハァハァ、ゆるい坂を登り鈑戸につきました。
とうちゃこ。
正平さん、何か聞きたくて遠くの道をカートで移動しているお年寄りに声をかけます。
その方が来てくれました。
すると
「いうなと言われていましたが、私谷口邦子(お手紙の主)の母です」
あまりの偶然のことに驚く正平さん。
さらに驚くことに
「3年前、バスに乗っていたのは私です」
というではありませんか。
「鈑戸で降りたおばあさん、この人だ」
思わず抱きしめます。
あまりの偶然に
「しこんだな」
と疑うのです。
3年前からの物語が続いている奇跡のような場面です。

*この回は、リクエストアワーのベストテンランキング第5位でした。



posted by 寒河江幹 at 00:00| Comment(0) | こころ旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする