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2024年08月14日

火野正平とうちゃこ日記(762)2018年秋の旅 青森 月曜版 BS日本縦断こころ旅


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寒河江幹です。

2018年秋の旅は、青森県に入りました。

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【道の駅みさわ】三沢市

下北から弘前へ進学が決まった時、これからは家族一緒に出かける機会が少なくなるだろうということで、日帰り旅行をすることになりました。ちょうど見たい映画があったので、三沢市方面の映画館に行くことになり、その途中で立ち寄ったのが道の駅みさわでした。はじめ道の駅は行き先の予定には入っていなかったのですが、時間に余裕ができたので母の希望で行ってみることになりました。あまり期待はしていなかったのですが、馬がいたり、ゴーカートやパターゴルフ等で思いのほか楽しめました。家族4人でのパターゴルフ勝負を終え、すぐ側の建物見学へ。何気なく入るとリアルな人形たちにビックリ!!私も父も「うわっ!!」と声が出ました。くつをぬいで建物の中にあがることもできたのですが、人形が動き出しそうで怖くて とてもそんなことできませんでした。家を離れてみると、時々さみしくなる時もあります。そんな時に、思いだすのがあの道の駅です。あのときは楽しかったと思うのです。




【小学校からまっすぐ伸びる農道】青森市

 私の通っていた泉川小学校には、プールがありませんでした。水泳の授業や、夏休みの遊びとして、小学校からまっすぐ伸びる農道を通って、運動公園のプールに行きました。
 私には双子の姉がいて、学校に行くのも、プールに行くのも、何をするのも一緒。姉との夏の思い出といえば、てくてくおしゃべりしながら歩いた農道、プールではしゃぎ遊んだこと、帰りに『津軽の味』というお店で、アイスクリームやフランクフルトを競うように食べたこと。とても懐かしく思い出されます。
 その後私は、大好きな故郷や家族と離れ、函館に就職しました。それまで、大きな挫折を味わうことなく生きてきた私でしたが、就職してからは人間関係に悩む日々が続きました。はじめて、一人ぼっちになりました。
 そんなときリフレッシュしようと、久しぶりに故郷に帰ってきた私を、姉は車で迎えに来てくれました。
車に乗った途端、『おかえり』と迎えてくれた姉。温かい笑顔、聞き慣れた優しい声に、私は我慢していた涙をこらえきれませんでした。




【五戸の駅】五戸町

さて私の心に残る風景は
ある朝突然「ケサシンダ」と母の実家の青森から電報が届きました。(昭和四十年ごろには電話が商店くらいしかなかったのです)
余りに突然のことで母は畑で泣いていました。
すぐにも行きたかったでしょうが お金の心配や遠い青森を思い一人泣いていました。
私は思い切って母を連れて青森へむかいました。東京の上野で乗りかえて五戸(ごのへ)の駅についた時は丸一日かかりました。
五戸の駅では「岐阜の方ですね、乗って下さい」とタクシーの運転手さんに言われ 実家につくと母が「香与子(カヨコ)母ちゃんが生きとる」と叫んだのです。昔のことで 実はキサという方が亡くなったのがズーズー弁でキサがケサになり届いたのです。
母は大喜びでした。 でもそのわずか二か月後に病で親より先に五十歳であっというまに亡くなりました。
まるで母親に別れの挨拶に行ったようでした。
姉兄五人で四、五年前に青森へ行こうという話になりましたが 私一人体調をくずし行けませんでした。
そこで母と二人でおりた「岐阜の方ですね」と声をかけられた五戸の駅を見てみたいのです。今は無人駅になっているそうです。
五十数年前のことで余り覚えていませんが
私も七十五歳になりもう青森へは行くこともないと思います。
どうかどうか正平さん 私にあの駅を見せて下さい。
宜しくお願いします。




【種差少年自然の家の「たね坊」】八戸市

私が訪れて欲しい所は、そこにあるはずの「マスコットキャラクター」です。その場所は八戸市種差海岸にある「少年自然の家」です。
退職までの四年間、そこに勤務していました。
 当時もっと施設に親しみを持って欲しいとの思いで、職員が「マスコットキャラクター」を考えました。
それが「たね坊」です。平成二十二年七月一日に誕生しました。それ以来「たね坊」を少年自然の家の顔として、ポスター、チラシに載せたり、シールを作りあちこちに貼ったり、「たね坊」の大きな団扇を作り、「忘れるなよ、元気でなぁ」と退所する団体の最後尾の子どもが見えなくなるまで、その団扇を何度も振って見送りもしました。
「たね坊」も期待に応え大活躍してくれて、沢山の子どもたちに愛され、知られるようになりました。
 こんなエピソードがあります。小学五年生の子どもでした。
「たね坊はわかるけど、お父さん、お母さんはどこに居るんですか?」と質問されたのです。
「たね坊」は誕生させましたが、確かに両親は居ないのです。素朴で普通の質問と思いますが、それまで何千人の子どもたちと会いましたが、そんな質問は初めてだったので、私は驚いたのと同時に感心しました。それから一年後、その子はまた少年自然の家にやって来ました。
そしてこう言いました。「僕、たね坊のお父さんとお母さん作ってきました。ついでにお爺さんも作ってきました」と、見るとプレートにたね坊家族が描かれており、年齢、職業や病歴のことまで書かれていました。嬉しくて涙が出ました。
その子は障がいのある子どもでしたが、なんて心の優しい子なんだろうと、今もずーっと心に残って、忘れられません。
「たね坊」も、もう八歳。小学生です。どうしているのかなぁ。
食堂にも「調理師 たね坊」は居ますが、確かプレーホール(体育館)の天井の柱にも貼ってあります。まだ貼り付いて頑張っているのかなぁ。
それとも落ちちゃったかなぁ。ちょと心配です。
 まぁこんなお願いは無理と思いますが、「青天の霹靂」(青森の米)ってこともあるし、正平さん、監督さんの「心変わり」ってこともあるかもしれない、という祈りを込めて書きました。とにかく、このまま、いつまでも物語の続きを見せて下さい
よろしくお願いします。




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posted by 寒河江幹 at 04:22| Comment(0) | こころ旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする