寒河江幹です。
2018年秋の旅、778日目は大和町です。
「森の中にいます。紅葉にはちょっと早いかな。あれ読める?大衡(おおひら)村って云うんです」
昭和万葉の森にいるようです。木の下に椅子を置いてお手紙を読みます。
愛と書いて「めぐむさん」「女の子?」「男性です」「にあわね〜な」
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【魚板(まないた)橋】大和町
私の思い出の場所は父とよく散歩した黒川郡大和町吉田字魚板の吉田川にかかる「魚板橋(まないたばし)」です。
当時、隣り村の小学校で教員をしていた父は毎晩のようにお酒を飲んでは遅く帰ってくるし、日曜日には指導しているスポーツ少年団のバレーボールの試合などで家にいることが少なかった。子どもながらに自分の子どもと他人の子どもどっちが大切なんだ?と正直少々不満に思っていました。
でも、そんな中でも、よく父に連れられてこの魚板橋へ散歩をしました。小さいときは乳母車に乗せられて、少し大きくなったら手を引かれて徒歩で。小学生になると自転車で。夏休みには朝早起きして(橋を渡った先を右に曲がったところのブロック塀に)オニヤンマの羽化を見に行き、夜には街灯にあつまるカブトムシやクワガタを捕まえに行きました。
雨が降ると橋をわたったところの左側の田んぼの水路でどじょう捕りもしました。冬には父の引く「そり」に乗せられて橋までの散歩。
大晦日には紅白歌合戦終わったら家族で歩いて橋を渡って、対岸の石神山精神社(いわがみやまずみじんじゃ)<大きな岩がご神体>へ元朝詣りにも行きました。
そんな父も亡くなって10月19日で早いもので6年になります。
この時期になると父のことが、そして父との思い出が深い魚板橋が思い出されます。
道は大和町の中心部の吉岡から平坦です。正平さん是非、初秋の「船形連峰」・「七ッ森」の美しい風景を見ながら魚板橋を訪れてみてください。
「雨が降ってくるのかそれとも降らないのかビミョー」
地図を木の幹に押し付けて広げます。
「大衡村がここ。すぐ左下に大和と書いてタイワ町。雨でグチャグチャしたところ先生は行きたくない」
急に先生になりました。
「七つ森ってここにあった。吉田川ここだ。魚板橋あった。今日の社会見学ここに行きます」
雨に濡れたアスファルトを出発。
すぐに大きな幹線道路になります。
「イヤー本当に空気がしっとりしている」
道をそれ二車線の左は山、右は田園地帯を通ります。
白いジャケットが曇った空気の中に生えます。
「これは何川だ?」
「海老沢橋」川の護岸工事をしています。渡った先に「善川」と書いてあります。
交通量の多い道に出ました。
横断します。
昔の宿場町を通ると四川料理の店で昼食。
海鮮チャーハンを注文。
「あっさりしていておいしい」
よしおか宿本陣を通過。
「ここからが平たんですとお手紙に書いてあった」
田んぼの中を走っています。
「おデブが並んでいる」
稲を束にして干してあります。
事業所の前で5人ぐらいの男性が手を振っています。
正平さん止まって
「七つ森ってどの七つ?」
代表が一人寄ってきて説明します。
「あれも一つ?」
「ええ」
「1・2・3〜8っつになっちゃうじゃん」
もやでうっすら曇った道を走っています。
「バス停魚板だった」
少し雨が降っています。
「川、下にあるぞ」
「ん?怪しいな」
橋がありました。
「魚板橋って書いてあるぞ」
とうちゃこ。
チャリオを降りて歩きます。
「へぇー結構下を流れてる。昔の橋はあっちにあったようだな」
橋を渡ったところのブロック塀まで歩きます。
次に、田んぼの水路を覗きこみます。
「ドジョウっているんですか?」(スタッフ)
「いるいるいる」
石神山精神社(いわがみやまずみじんじゃ)もありました。
最初の石段を登り鳥居をくぐります。
「まぁーゴールはもっとしっとりしてんな。苔むしちゃっている。ええ感じやわ」
赤い手すりのある階段をずんずん上ります。
途中からカーブになり曲がると社があります。
「これか」
社の横に切り立った大きな岩がありました。
再び田んぼに戻って
「どじょういるよ」
と網を要求します。
2つの網を器用に操って、
「いたんだから」
と泥ごと引き上げます。
泥の中から小さいドジョウが現れます。
「なんだこれは?ヤゴか」
もう一つの網には、オタマジャクシもいました。
「オタマどうすんのこれから冬やのに」
田んぼの横にベンチを置いて再びお手紙を読みます。
船方連峰は見えなかった。そんじゃまた。
👇 ちょっとブレイク ⇒ 林家ぺー余談ですけど
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