寒河江幹です。
2018年秋の旅も栃木県に入りました。
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【小倉川堤防から見る男体山と家の苺畑】鹿沼市
私の心の風景は 小倉川堤防から見る男体山(なんたいさん)と家の苺畑です。中学校(清洲中学校…現在は廃校)から帰宅する時、川沿いの道を通るのですが、そこから見る男体山は季節ごとに表情を変えながら「お帰り」と言ってくれるようでした。部活でしごかれた時も、友達と喧嘩した日も、男体山を見ると、気持ちが穏やかになった気がします。
家の畑では、両親と祖父母が苺を作っていて 私の姿を見つけると手を挙げて「お帰り」の合図をしてくれました。友人たちの親は会社勤めで家にいないのに、私の家族は家にいることが、今となっては大きな安心感だったなあ、と思います。
私が子供の頃は、苺農家も多くありましたが、20年ほど前には近所で1軒となり、今年80歳になった父は「今年で引退だ」と、最後の苺作りに取りかかっています。口数少ない父ですが、黙々と畑仕事をする姿は私の誇りです。
大学進学のため家を出て三十数年、いつも私の心の中には 川沿いの道から見える男体山と苺ハウスで作業をする家族がありました。昨年、栃木にUターンし、地元の企業で働いています。
今では その道も車で数分で通り過ぎてしまいますが、清洲橋を過ぎ、川沿いの道に入ると、あの頃と同じようにホッとします。
他人が見たら、何もない、何でもない風景だと思いますが、私の大事なだいじな風景です。
【鳥ヶ森公園】那須塩原市
昭和40年夏、小学校6年生の時に、私の通う宇都宮市の錦小学校と黒磯市の青木小学校の交換学生として、2人一組で民家へホームステイしました。自然が豊かで、ビックリしたのを覚えています。
翌41年4月頃、そのホームステイ先の家族と、その親類と私の家族で、満開の烏ヶ森公園へ行きました。
その親類の中に、1つ年上(中学2年生)の女の子がいました。
14歳の頃の少年にとっては、はるかに年上に見え、又服装も、自分は学生服、彼女はワンピースで、女優か、モデルの様に見えました。
そんな中、公園内を歩いていた彼女が、土手(1〜2m)を下りる時、私に「下りられないから、手を引いて」と言いました。
ドキドキしながら手をつなぎました。夢中でした。
周りの酔客が、ひやかしたのも覚えており、少し大人になった気分でした。
憧れの東京の人を見たのは、初めてであり 彼女とはそれっきりでした。私の初恋でした。
その後、公園を一度訪れましたが、土手の周りがこんなに小さかったのかなぁ〜と思い、又 桜の季節以外は少し寂しく感じられました。
【大瀬橋の上からの眺め】茂木町
芳賀郡茂木町牧野集落にかかる大瀬橋の上からの眺めは、私の心の風景です。
実家に90歳になる両親を、月2回程 見舞いに行っていた時、必ずといっていいほど立ち寄った場所です。
春には萌える新緑、夏は鮎釣りの風景、秋は見事な紅葉と那珂川のコラボ、冬は鮭の遡上。
私と同じように眺めていた人が、もう1人いました。
3つちがいの兄です。4年前に急逝しましたが、その冬のフェイスブックには、鮭の遡上を見て、「命のバトンタッチを終えて」というタイトルで、産卵を終え息絶えた数十の鮭の屍に思いをめぐらせていました・・・・
翌年の桜が満開のとき、帰らぬ人になりました。
かけがえのない兄でした。
もっと話したかったなあと、今さらながら後悔しています。
【井頭公園】真岡町
私はこの春、主人を亡くしました。
昨年秋頃より体調を崩し、今年に入って精密検査を受けた時には、ステージIVの肺癌との診断でした。
2月に入院し、化学療法による治療が始まりました。
第一段階の治療が終わり、次の治療迄の一時退院が決まっていたその日の朝に肺炎を併発し、翌日還らぬ人となりました。74歳でした。
主人は、こころ旅が大好きで、入院中も春の旅の放送を楽しみにしておりました。
でも、放送を見ることは叶いませんでした。
春の旅放送の第一日めの3月26日の告別式には、許可もとらずに{こころてがみ}を葬送の曲に使わせていただきました。
そんな主人と出会った頃から、毎年春になるとお花見に出かけたのが、真岡市郊外にある 井頭公園です。
主人の好きな いなり寿司のお弁当を持って、ゆっくり散歩したり、2人乗りのレンタサイクルで走ったり、池の鯉に餌をあげたり、昼寝をしたり、本を読んだり・・・・
普段の忙しさを忘れて、ゆっくり過ぎる一日が、これからもたくさんあるといいね、と話しました。
学生の頃、頭が良くて、喧嘩の強い人が理想の男性だった私に、両親は、そんな人には一生巡り会えないから、その辺の人で、適当に決めちゃいなさいと言っていました。
その後、出会った主人は、そんな私の理想に、どストライクでした。本人いわく、喧嘩をすれば強かったようですが、実際は、とても穏やかで平和主義の人でした。
これまで暮らした中で、喧嘩をしたことは一度もありません。
主人が亡くなって半年が過ぎました。 携帯電話も、解約できずにそのままです。
主人からの着信音(ジュリーのTOKIO)が鳴ることはもうありません。(主人の名前は、時夫 です。)
これからどれくらい、主人の思い出だけで生きてゆけるかわかりませんが、空の向こうで 早く来ぉい と呼んでいる主人に、また会った時に 良くがんばったなぁ と褒めてもらえるように、日々の暮らしを、私なりに精一杯生きてゆこうと思っています。
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