寒河江幹です。
2018年春の旅、752日目は京都市です。
正平さん、鴨川公園の中州に立っています。
「おはよう。今から7年前鴨川のここから始まって最終回もここにしようと…」「違います」(スタッフ)
「私の衣装は半分青いです」いつものゆったりした衣装、鮮やかな青のパンツとすそだけ同じ青がグラデーションで施されたプルオーバー。
公園内の丘の階段に座ってお手紙を読みます。
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【花脊スキー場】京都市
昭和30年1月15日(当時は成人の日)、高校1年生だった私は、友人と二人で親にも告げず 花脊スキー場に 始めたばかり(2度目)のスキーに出かけました。運動には少し自信はあったのですが、平均を操るのは下手で転んでばかりでした。午後2時頃、さあ最後の滑りと張り切って滑り降りる途中転んで右手を雪面についたところへ、上から滑って来た人のスキーに右手の甲の上を滑られてしまいました。私の手袋は毛糸作りで、そのスキーは、当時最新型で金属エッジがついていたため、血管5本と指の腱(筋)4本を切断されてしまいました。
血が吹き出て雪面を赤く染め、直ぐに診療室に行きましたが、当時ですからほとんど治療らいしものができず、ただ傷口を包帯で巻いて右手の肩の下のところを縛っての血止めの処置でした。
そこから市内の病院に入るまでが大変で、たまたまボーイスカウトの訓練チームが居て その隊長さんに、命と右手がなくなるのとどっちが大切かと脅され?完全に右手を縛って血を止め、鞍馬まで車で連れて行ってもらい、そこで救急車を呼んでもらい、救急病院に入ったのは午後5時を過ぎていました。お医者さんの顔を見たとたん私は、右手は切断ですかと聞きましたが、先生は、それは時間がたたないと分からないとおっしゃって、直ぐに、血管の結合と腱の結合治療に入り、およそ3時間かけて終了しました。切断は免れ、一週間入院し、6か月かけて指のリハビリに通い ようやく箸がもてるようになりました。
その間は、左手でご飯を食べ、字を書いていました。その後、昭和33年北海道の大学入学と共に京都を離れました。大学では雪の研究で山スキーを始め、今でもお正月にはニセコの山に入ってます。人生、失敗が苦難が新たな風景を与えてくれますね。
そこでチャリオさんと正平さんにお願いです。60年以上経っていますが、その花脊スキー場は、今どうなっているのでしょうか?花脊のどのあたりなんでしょうか?
京都へは同窓会などで何度も行っているのですが、トラウマで岩倉より北方面には、行く勇気がありません。山深くて良い所だと思いますが・・・。
訪ねていだければ幸いでございます。
地図を広げます。
現在地を
「人間の体でいえばちょうどこのあたりです」
と股間を押さえます。
「花脊はここにあります」
「僕に任せてください、今から50年前よくロケーションしました」
まずおにぎり屋さんによって昼食を仕込みます。
「いや〜ん、おいしそうなのばっかりや」
おかみさんもレジに来た正平さんを見て
「火野正平さんですか?」
と握手。
バスに乗ると隣の若い女の子に声をかけられました。
京都産業大学の学生だそうです。
「混んで来たからこっちおいで」
と自分の隣の席に移動させます。
「名前は?」
「シエナです。両親の新婚旅行先がイタリアのシエナだったので、そう名前を付けたそうです」
「いい迷惑だよな?」
京都産業大学前で降りました。
鞍馬を通ります。
「鞍馬天狗いるよ」
その先は自由乗降になりました。
つづら折りの坂道を行きます。
峠の少し手前で降りました。
「京都で仕事をしていた時ここの水が一番うまいってよく見に来てたの」
水筒を持ってある泉に行くとビニ管のパイプから水が流れ出ています。
水を飲んでさぁ出発。
今日は黒のヘルメットです。
「さぁ〜ここで降りたことを後悔するかどうか」
「ヨイショヨイショ、オーこうなっていたか?」
「ひんやりしてる」
「もう後悔しているぞ俺、降りなきゃよかった」
休憩していると坂道をあえいで登ってくるライトバンがありました。
その車をしばらく目で追うと
「だめだ、あんな(高い)ところ走ってる。もう地獄を経験しましょ」
フェーフェーフェー息だけ聞こえます。
「オッ、やった」
平地に着きました。
バス停花脊峠と書いてあります。
「な〜んだたいしたことないな。つまんねー」
といいつつ峠を下ります。
左京区花脊、
「ちょっとコネー間に杉、ちゃんと伸びちゃったかな」
山を下りるとのどかな山里。
「ここで何か食わせたんだよな昔は。確かそばとか食べた」
ということで弁当を食べていいか聞き承諾を得ます。
おこわ・おにぎり・てんぷら・煮物 いろいろあります。
カメラクルーも併せて14名いました。
「あれ?」
しばらく歩くと奥様2人が正平さんに気付いて立っていました。
その奥様に花脊スキー場の場所を聞きます。
再び出発、右手に鳥居を見て一本道をゆっくり下り学校を探します。
小川の欄干にチャリオを止め
「歩いてさがす」
と言って昔の記憶をたどり歩き始めます。
「ハイキングをされる皆様へ」
という看板がありましたが花脊の文字はありません。
砂利道を登ります。
「これやで、ちっちゃ」
ブリキで覆われた小屋があり、ヒュッテ白熊など書いた道しるべが朽ち果てています。
遠くにリフトの残骸、一面草原です。
「今こうなっているよ」
正平さんが昔のゲレンデに立つと何やら鳴き声がこだまします。
「これ鹿の鳴き声。仲間に変な奴が来たどお〜(と知らせてる)」
リフトの残骸に近づきます。
「(昔ロケしたとき)確かにススキのイメージがあったなぁ」
「兵どもが夢のあと」
ススキが生い茂った草の上に座って再びお手紙を読みます。
「とにかくお天気がありがたかった」
「梅雨で降雨確率90%だったけど、(無事に)こんなふうに過ごせた」
音もなく、ただの草原が広がっています。
👇 ちょっとブレイク ⇒ 林家ぺー余談ですけど
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